ブルーインパルス写真館
私がブルーインパルスを初めて見たのは1960年12月、新田原基地でした。
当時、高校1年生で大感激したのを憶えています。
その後、社会人になってから現在までF−86Fの実戦機塗装、初期塗装、白地にブルー
そしてT−2、T−4とブルーインパルスの全部の機種を見てきました。
F−86Fブルーインパルスについて
1958年10月、浜松基地開庁記念式典で初めて一般公開。この頃のコールサインは「チェッカーブルー」で3機編隊。
1959年 4月、名古屋空港で4機編隊でアクロ飛行。この頃はフライバイチームとして編成、解散を繰り返している。
1960年 1月、メンバーが7名になる。コールサインは「インパルスブルー」
3月、浜松北基地で公式初展示飛行
4月、空中機動研究班として正式に発足
5月、初めてスモークを引いての展示飛行
9月、チーム名を隊員から公募して「天竜」とする。
10月、正式に「ブルーインパルス」となる。
1961年 10月、実戦機塗装からアクロ塗装となる。リーダー機は金色と薄いピンクの帯、他機は濃淡2色のブルーの帯。
これまでスモークはまだ白1色だったが初めてカラースモークを使用。
ドロップタンクについては演技をシャープに見せるために移動中を除いては外すことが多かったが演技時間
が短くなるために1967年頃からはドロップタンクを付けて演技するようになった。
1964年 9月、白地にブルーの塗装になる。
10月、東京オリンピック開会式で五輪マークを描き絶賛を博す。
1965年 1月、「戦技研究班」と改称。
1970年 3月、大阪万国博でEXPOの文字を描く。
1981年2月8日、入間基地での展示飛行がF−86Fでの最終展示飛行となった。
総展示飛行回数545回。22年間に36機を使用した。